これは他の役所もそうなのか、うちの役所だけの体質なのかはちょっとわからないけれども、仕事というのはどうやら、有能な人(ここでは仕事ができる人、こなせる人)に集まるみたいだ。一定のルーチンワークは別として、たいていの新しいオーダーなどは上の方の幹部(大臣とか局長やら部長やら)から降ってくる。そもそも、新しいことが下からの積み上げや発案ではなく、(多くの場合)あくまで上から降ってくるということも、もしかしたら役所の特徴なのかもしれないけれど、ともかく、大臣も含めて幹部が何か思いつくと(まさしく思いつき。例えば、こんな制度は創れないかとか、組織をこんな風に変えたらどうだとか...。)、下の人間に、「なんとかしろ」「こうやれ」とオーダーする。下はオーダーを受けると、何とかそれをやるわけだけど、もちろん人によってやり方も違えば、最終的に出てくる結果も変わってくる。国は上意下達の組識だから、まあ、上から命令されたらやるしかないのかな。みんなやっぱりまじめだし。
やり方として、(幹部とかの上の人たちから見て)なんらかの結果が出せる人というのは2通りに分かれるようだ。
(1) 自分でいろいろ考えて、作っていく人。
(2) とりあえずさらにその部下に仕事を投げて、無理矢理やらせる人。
パターン(1)も、もちろん部下にだって作業を投げるけど、それなりに自分の頭の中で方向を決めて、人手が必要な場合に部下を使う。ところが、パターン (2)は、基本的に部下の負担は考えず、とにかくやらせる。まあ、人海戦術の一種かもね。当然無駄なことも多いと思う。
どちらもオーダーを投げる幹部とかの上の人にとっては(結果を出すから)便利なわけで、幹部は、新しい思い付きをする度にどんどんこの人たちにそれを投げるわけ。まあ、よくいえば、評価しているというのかな。その時に、(1)(2)のどちらが、部下から信頼されてるかとか、そーゆーことはまずほとんど気にされていないみたいだ。幹部にとっては結果しか見えないから、やり方なんて問題じゃない。
そうすると、そりゃやっぱり、(1)も (2)も(それなりに大変で重要なポジションを)そこそこ出世していくわけだけど、もともと、(1)のほうが本人の負担がでかいわけで(こーゆー人は、ホントにホントに働いてて、まさに日夜問わずに職場にいたりする。2週間職場に泊まり込みとか、そんな話も聞くし。)、いずれ体にガタが来る。精神的にだったり、肉体的にだったり、人によっていろいろだけど、胃潰瘍とか、自律神経失調症とか、そうやって体を壊して働けなくなっていく人は、実際にいる。それで役所を辞めることになったり、閑職に就くことになったりしてしまう。
で、残るのは(2)。こうやって、役所の上の方が(2)に占められていく。この人たちは、昔から下にオーダーを投げて仕事をしてきたから、やはりトップに近くなっていっても同じように、思いつきを下に投げるようになる。これで悪循環の出来上がり!というわけだ。
結局、役所で出世していく人というのは、上の人から見て非常に便利で使える人。そして使える人はとことん使われる。そして残るのは、打たれ強く図々しく、部下を使いまくる人というわけで、もちろん、それは仕事のやり方だから、それと性格が必ずしも一致するわけではないけれど(すごく真面目で几帳面な人だったり、横暴な人だったり、いろいろ。)、いわゆる官僚的と批判されるような人というのは、実際にそうやって出来上がっていくのではないかなあとちょっと最近思います。
今も結構わがままな幹部やら中堅幹部クラス(局の筆頭課長とかね)の人たちがたくさんいて(注:もちろんすばらしい人もいて、全部が全部というわけではありません。)、10年くらいしたらその人たちも退職していなくなるはずだから、また雰囲気は変わるかなーなどと思ってたけれど、よくよく見てみると、すでに30歳くらい(課長補佐くらい)でも、「わがままだなー」と感じる幹部たちの「タマゴ」のような人たちがいる。と思うと、やっぱり変わらないのかなあ。
大蔵省の若手キャリアが税務署長になったり、警察庁の警察署長や、郵政省の郵便局長とか、いわゆる「殿様教育」が問題だー!とかも批判されてる。もちろんその影響がないとはいえないと思うけど、むしろ、長年の仕事の中で、体に染みついた一定のやり方っていうのも、「官僚」の育成に大きな影響を持っているんじゃないのかなーなんて考えたりします。
もし自分がずっと役所で働いていくならば(←そりゃあ先のことはわからないし、やっぱりいろいろと考えるので。)、まともな人でありたいと思います。
今回はちょっと愚痴みたいにもなってしまいました。
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